つまり無意識で動かしている自分です。
その自分が嫌で仕方がないとしたら、どうすればいいのでしょう。
変えたくても無意識なので修正できません。
変えたくても無意識なので修正できません。
無意識を顕在化させて、まず意識します。
自分を知ることが始まります。ライフスキルでいう<自己認識スキル>が力を発揮します。
無意識を顕在化すると、長所をのばし、短所に改善に取り組むことができます。あるいは短所は置いておいて長所を伸ばそうと選択できます。
長所にフォーカスして暮らすのが楽です。
早く長所を使えるようにするには、どうすればいいか「戦術」を立てます。
やったらできるけど、やれない、やる気が起こらないということであれば、長所を使う頻度が減ってしまうので、宝の持ち腐れになります。
二律背反した状態です。そこには「不安」という感情が潜在しています。不安な気持ちになるものと遭遇したくないと思うのは自然です。だから逃げます。
しかし反応しているので自分では知っているので顕在化できます。なにが不安なのか、なにがイヤなのか、不安を顕在化します。
しかし反応しているので自分では知っているので顕在化できます。なにが不安なのか、なにがイヤなのか、不安を顕在化します。
潜在している不安ははっきりした理由があるわけではありません。習慣化してしまった「そこにありそうな不安になる予感」です。藪の中になにか潜んでいないかというような不安です。
自分が思い込んでいる自分が苦手にしているものです。
思い込みですから合理的な理由があるわけではありません。だから実態を把握すると「なんだ、これだけのことか」という場合が殆どです。
だったら、「臆することなくやればいいじゃないか」となりますが、そうはいかないのが習慣なのです。
いまの自分は「いまの自分が思い込んでいる自分」で創り上げた自分なのです。5歳の時に自分が思いこんだイメージで自分を創り、以後30年、毎日「自分が思い込んでいる自分」」で暮らしてきたとしたら、35歳のいまの自分は、5歳の時に思いこんだ自分がより強固になっています。ですから頭で理解しても、心が拒否してしまいます。
「自分には速く走れない」と思い込んでいたら、速く走ろうとしません。速く走れたらないいなと思いながらも、動けないのです。やってみないと分からないのが真実ですが、挑戦する前に、諦めてしまうのです。なぜ、せめて挑戦しようと思わないのでしょう?速く走れない自分を見るのがイヤだからです。
このイヤは、ただ遅かったでは済まない「敗北感」「全否定」に直面するからイヤなのです。
速く走れなかった・・・「たかがそれだけのことじゃん」・・・これが世間の反応です。でも自分にはそうは思えない致命的な敗北・・・「自己否定感」になってしまうのです。
だから日常的に避けて通ります。
このように「自分が思い込んでいる自分」を基準にして考え、発言し、行動しているのです。
問題はこの先です。
「自分が思い込んでいる自分」が、自分的に良いイメージからかけ離れるほど、現実にして確かめようとするのです。
現実にして確かめようとする?!
確かめる?!
現実にして確かめようとする?!
確かめる?!
これが無意識の人生脚本の真実そのものなのです。
こんなものが個人を動かしているとしたら、組織(共同体)の価値観が共有されるわけはありません。分かったようなことを言っていても、うわべだけになるのは必至です。
こんなものが個人を動かしているとしたら、組織(共同体)の価値観が共有されるわけはありません。分かったようなことを言っていても、うわべだけになるのは必至です。
「どうせ自分に速く走れるわけがない」と思うと本気で挑戦しようとしないので、速く走れるわけがありません。こうして自分で「結果」という現実を創り出します。しかし客観的に因果関係を考えるとわかるように、自分が強引に創り出した仮想の「現実」なのです。
この状態は「引きこもり」ですが、自分を守ろうとしての行為です。恥をかきたくない。弱い自分をみたくない。みずぼらしい自分をみたくない。
いつか「イヤな思いをした自分を見るのはもうこりごりだ」という思いがそうさせているのです。
そんなに自分を責める必要はありません。
大事なことは、「自分が思い込んでいる自分」と「自分が思い込んでいる世界」のどちらも現実と違うということです。
さらに言うなら、どっちみち現実を生きないのなら、ポジティブに考えても同じだということです。「遅くたって誰も気にしない。気にしてくれるくらいならありがたいものだ」と考えても同じなのです。
これが「人は自分が思ったことは実現できる」と言われる所以なのです。
組織は戦略に従うように、自身も自身の戦略に従うのです。
感情を優先してしまい、合理的な自分が思うような優先順位が組めないとしたら、すでに答えは知っている状態です。動機付けはされているのです。
モチベーションがあがっているのに、それ以上に強い動機付けに自分が動かされてしまうのは、因果関係が理解できていないか、理解できていても、それ以上の動機付けが働いているからです。つまりモチベーションは十分に高いので、行動すれば、ますますモチベーションはあがって好結果に行き着く状態にあります。
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