アブラハム・マズローの欲求段階説からしたら、ビジネスも、勉強も、遊びも、スポーツでも、本当の自分を表現するツールといえます。
自己実現したい、目標を達成したい。とほとんどの人は言います。自己実現したくない、目標を達成したくないなんて聞いたことがない。なのに、自己実現ができない。目標が達成できないのは、どうしてでしょうか?能力の不足なのでしょうか?
世間の主な尺度で測った「成功」を追求する人が多い。つまり自己実現でない成功を追いかける人が多いという意味です。努力できないのは、本当の自己実現ではないからです。他人の尺度で測った「成功」だから、本当にしたいと思っていないのです。
そんなものは本当の意味での成功とは呼べないと思います。ムリして必要でもない成功を追いかけている。成功は他者と比較できる性質のものではありません。他者の尺度で計れない。他者の物差しなんかいらないはずです。
たばこをヤメたいと思うのに、なぜたばこがやめられないのでしょうか?自分の気持ちが自分の思うように動かせないとはヘンな話です。それでも能力の問題なのでしょうか?そうではないのです。自分の脳で思うことを邪魔しているのは、なんでしょうか?自分が努力して邪魔して、自分の意志が通れないようにしているのです。邪魔しているのは、本当にしたいことが分からないからです。
自分のしたいことを、
自分がどのようにして邪魔しているか、
考えてみましょう。
▼自己実現を妨げる問題のある行動
目標を達成するための行動を想像するといやになる。成功するやり方を聞いたりしたが、実行はしていない。そのやり方は過去にも取り組んだが、いつの間にか元のやり方に戻った。自分の習慣は、良い結果につながらないけれど、変えようとしていない。やらないといけないことは分かっているが、他にやる方法もあるのではないかと思う。
自己実現を邪魔する行動は、いったいどこから来るのでしょうか?想像が意志を阻むのです。みなさんは相反する意志と想像が激突したら、どちらが勝つと思いますか?たとえば禁煙は簡単か、難しいか、どう考えますか?
苦労して禁煙に成功した人もいれば、
禁煙できずに苦労している人もいます。簡単にやめた人もいます。禁煙したい願望は同じでも、プロセスや結果に違いが生じているのは、どうしてでしょうか?
欲求のレベルには、願望、欲望、必要。の違いがあります。
・願望は空想に近いものです。
・欲望は願望がより現実的になったものです。
・必要は欲望がより切迫したもので、実質的なものです。
意志の強さは欲求の強さの影響を受けます。必要と感じた場合に、目的や目標を達成する可能性は高くなります。しかし必要は理性的です。人間は感情の動物ですから、理性的な必要が感情にまで登りつめると欲求はもっと強くなる。つまり理性的な状態ではまだ弱い。
欲求の違いは、想像の違いになります。想像は欲求の強さに比例しません。意志の強さに比例もしません。意志と欲求が比例しないのは、意志と欲求の間に想像が絡んでくるからです。想像は事実ではないが、欲求も意志も想像に支配されてしまう。意志も想像も脳で考えていることですが、相反する意志と想像が激突したら、間違いなく想像が勝ちます。
欲求が弱いとネガティブな想像に負けてしまう。想像に勝つには感情レベルになった「必要」が必要なのです。「どうしても必要なので何がなんでも手に入れたい。」という思い。
意志と想像が同じ場合には、意志は想像に負けない。負けないでいると目標達成に疾走できるので、自己実現が容易になります。欲求を好ましい意志に置き換えるには、意志にふさわしい想像が起こるようにするといいわけです。それがなにがなんでも欲しいと思う感情レベルの必要です。感情を解放してあげる。具体的には、想像に注目しないで、感情に注目するようにする。
選択なのです。どっちを選んでも自分の選択であることを忘れないようにしたい。どっちを選んだら、結果はどうなるのか。そのくらいの計算はできるはずです。モチベーションは選択の自由です。努力してモチベーションが下がる選択をしている人が多いのです。
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