2010年7月13日火曜日

原因か、手段か、それが問題だ

 たとえば私たちは、勉強するのがイヤだと言った場合、それを現象だと考えることで、その原因を探り出し、改善すれば、モチベーションもあがり、熱心に取り組むかも知れないと期待します。そして原因を探そうと躍起になります。

 しかし、勉強したくないのが目的だとしたら、原因を見つけることはできません。
 
 疲れている、やる気が起こらない、苦手だと理由(原因)を言っても、実は勉強しない原因ではなく、原因と思われるものは、実は勉強しないための手段でしかない場合があることに注意が必要です。
 手段であった場合には、目的を達成するための手段が、はてしなく繰り広げらることを発見します。つまりやらないためにやる気いっぱいの状態なのです。

 いつまでたっても、できない課題を抱えている場合、本当の目的は実現にあるのか、しないことにあるのか、じっくり自己分析してみる必要がありそうです。

 もし、目的がしないことにあるとしたら、その背景になにがあるのか、ライフスキル講座で投げかけている「人生脚本」との関係について考えてみたいものです。単純にしたくないのか、それとも
不幸なドラマの結末」に向かっているのか、それによって重要度が違ってきます。

 もし、「人生脚本」の結末を成功させるための、小さな失敗だとしたら、危険な失敗だからです。誰もが幸福になりたいと口にしますが、不幸の実現に躍起になっている人がいるものなのです。幸福のイメージが描けず、不幸のイメージがしっくりする人たちです。
 この種の人には、幸福を考える機会よりも、不幸を考える機会のほうが圧倒的に多いのです。

 考えてみてください。実に簡単な理屈です。お金持ちは、お金のことを考える機会が多いからお金と関係ができるのです。健康な人は健康について考える機会が多いから健康に暮らせるのです。

 本当の意味でやる気になればできる簡単なことができない場合には、自分が見捨てられることを求めているかもし知れません。親身に思ってくれる人の誠意に応えずに、挫折感を与えるようなことをしていると、最終的に心も身も離れていくことになるからです。

 私たち人間は社会的な生き物です。他の誰かと無関係に思えるようなことでも、ひとりの行動は誰かに影響しているものです。「自分のうまくいかない」は「他者への迷惑」になっている場合が少なくないのです。
 ですから、うまくいかないと「悩む人」は、その解決策として、他者への思いやり、関心を強くしてみてはいかがでしょうか? 自分のことはどうでもいいというわけではありません。自己中心的な考えにふりまわされた行動をやめて、相手、周囲の人の身になって考えた行動をするのです。

 たとえば、どのようなビジネスでも、利益を求めて経営していますから、その企業が行うサービスには、利益を得る目的があります。いま話題の「FREE」もその典型的な事例です。

 だからといって顧客に提供するサービスが、すべて利益を得る手段だとしたら、顧客はどんな感じを受けるでしょうか。
 顧客と企業との間で取引される商取引は、選択権は顧客側にあります。ですからサービスの結果、利益が自然についてくると考える会社がある一方で、逆に利益を得る手段だと考える企業もあります。この場合も、選択権が顧客にあると感じていないのかも知れません。これと同じことが個人の人間関係にもあてはまります。

 親しい関係をつくりたい、そのために軽快で楽しい会話がしたい、親密な関係をつくりたいと思いを巡らします。しかし、そう思うほどコミュニケーションが苦手になっていきます。なぜだと思いますか。すごく簡単です。相手のことを思う力を失った状態で、親密な関係を作るのは、考えていることと、していることがベクトルが逆だからです。
 
 こんな場合、考えるエネルギーと行動のエネルギーを一致させることが、いちばん簡単な方法なのです。下心なしに親身に相手のことを思うことです。

 ビジネスでも売ろう、売ろうと、考えていると胡散くさく思われて売れなくなります。しかし顧客を親身になってしっかりサポートしてあげると、顧客は自身の欲求に応じて、購買を決めます。

 自分をないがしろにするのと、相手を大事にするのは、どちらが上とか先とかという問題ではありません。自分と同じように相手を思い行動するということです。自他肯定の行動です。
 このときに注意したいのは、思ってはいるけれど行動にできていないときです。思っているけれど、行動していないというのは、思っていないのと同じです。

 日頃、飲酒違反はいけないと思っているが、飲酒運転したというのは、飲酒違反した事実があるだけです。私たちは行動の背景を考える習慣がありますが、行きすぎると事実(行動)を軽視することになりかねず、真実を見落とすことになりかねません。

 人間の行動のすべてには目的がありますが、冒頭にあげたように、目的を現象と考えてしまうと、本当に大事なことを見落としかねません。そんなことにならないように、したか、しなかった、あるいはしている、していないで事実を判断するようにしましよう。

 したいのにできない、やろうと思っているのにできないというのは、目的がしたいこと、やりたいことにない、むしろ危険な人生脚本の完結に突き進んでいないかを注意深く考えて、路線変更の警告だとと判断することが自分を大事にする意味で適切だと思いたいものです。

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